50代で起業 後悔しないための自遊な生き方

15年勤めた会社を辞めて起業を成功させるために僕がやろうとしていること

あなたは誰かのために貢献していることを意識してください

人の生きるためのモチベーションのひとつに「貢献すること」があります。

地域社会に対して、自分が役に立っていると思える満足感が生きる活力になるわけですが、とかくこれが安定して思える状況が長続きしないのはよくあることですね。

その原因は「誰かと比べること」

あの人はバイタリティーがあって、常にプロジェクトのキーマンになって頑張っている とか 華々しい成果を挙げ続けている・・・・それに比べて私は・・・・的な思考です。

確かに何をやっても目立つ人はいます。存在感があって、指示命令をテキパキと行ない、廻りを動かしている そんな仕切屋さんばかり見ていると自分の力不足が露呈するようで辛いですね。

落ち込んでしまう前に、「貢献すること」ってどういうことなのかを考えたいと思います。

そもそも貢献するとは?

辞書的な意味合いを説明しますと

  • 物事や社会に力を尽くして、よい結果をもたらすこと。寄与すること。

  • 貢ぎ物を奉ること。また、その貢ぎ物。

会社という組織で考えると

  • 数値的な業績(売上げ)を挙げた

  • プロジェクトを立案し、リーダーとして手腕を振るった

  • 会社のイメージアップのために尽力した

  • 人材育成に尽力した 等々・・・

一言でいうと、(いい)結果を残したということですね。結果を残せていないばかりに「貢献」という言葉が使われないのは寂しい限りですが、やはり何か物事のために一所懸命に行動したことは何事にも変えがたい貢献といいたいですね。

貢献出来ていないと思う前に考えてみてください

「私は貢献できていない」「存在理由を見出せない」という思考。私の場合、以前はその反応が強いほうでしたが、ある事柄を知ってからはその感情が薄らぎました。

「自分以外の誰か(何か)と比べて落ち込むこと」が無意味であること

自分の能力的なことや仕事の収入面、何かに貢献する度合いは、確かに自分以外の別の物差しが基準になることが多いわけです。しかしそれは人生の主役である自分自身はそっちのけに他人のために生きることを意味します。それで幸せですか?

また、何のために世のため人のために尽力したいと思うのか?

①社会の一員として、ひとつの歯車になっている安心感

自分が社会に対して必要なものであるという自身を肯定する役割を担うのが社会への貢献度合いと言えます。歯車という表現に誤解がないように説明すると、一国の大統領もある意味歯車です。大きい大きい歯車ではありますが、替えが効く存在であることに間違いないですから、やはり歯車でしょう。といいますか、世の中に歯車になっていない存在が仮にあるなら、自分以外への影響力が皆無な存在といえるでしょう。(そのような人は後にも先にも実在しません)極端な言い方をすると、亡くなった人でさえ影響力がありますから。

②自分が満足するため

尽力出来たことに対する満足感は社会全般に対してと自分自身への賞賛も同時に含まれます。オリンピック選手が好成績を残して「自分で自分を褒めてやりたいです」という台詞が過去あったように、日本を世界に知らしめることに貢献したと同時に、自分を褒めることが最高の満足感をもたらしたわけです。

のほほんと生きることでも貢献度がある理由

極論かもしれませんが、引きこもりの方でさえ十分に社会貢献しています。

どこがやねん!?って怒らないでくださいね。

  • テレビを見る→電気代を払うことで電力会社に貢献
  • 残さず食事をする→食材を無駄にしないことで資源ゴミを減らすことに貢献
  • コンビニに買い物→店員さんの給料に貢献
  • 衣類を長く着る→食材と同様に資源ゴミを減らすことに貢献
  • スーパーでレジ袋を持参→プラスチックゴミの軽減に貢献
  • 病気をする→病院の運営や職員の給料に貢献
  • 息をする→CO2を排出することで植物が光合成をして酸素を作ることに貢献

かなり強引なままに列記しましたが、生きていることで十分に意味があることがお分かりでしょう。

私如き僕如きと思いそうになったらこのことを思い出してください。