50代で起業 後悔しないための自遊な生き方

15年勤めた会社を辞めて起業を成功させるために僕がやろうとしていること

身体が全力で嫌がっているのに無謀な使命感でねじ伏せること

今朝の新聞記事で、某大手広告代理店の社員が過労により自らの命を絶ってから3年が経つとのこと。ご家族からしてみれば「もう3年」なのか「まだ3年」なのか、私には察することは出来ません。しかし尊い家族に起こった悲劇の出来事は一生消えることはないと思うと、辛いどころではないことだけは確かです。

決して他人事でも対岸の火事ではないと思う理由

その後出版された「死ぬ辞め」本であったり、自身に起こったパワハラが原因で退職せざるを得なかった経験故です。

自身の事を少しお話ししますと

  • 明日なんか来なければいいのに
  • 会社がなくなればいいのに
  • 病気になればいいのに(自分が)
  • 明日世界が滅べばいいのに(怖)

そうすれば会社に行かなくてもいい・・・半年間そんなことばかり考えていました。そりゃ精神衛生的に健全なわけないですね。

  • 情緒不安定になり
  • 人と接するのが嫌になり
  • 電話で話すのが怖くなり
  • 人の顔色を伺うようになり

純粋に仕事に没頭出来なくなった半年は地獄そのものです。とはいえ、先の本「死ぬ辞め」の中にある記事で「辛いなら辞めればええやん 世界は広いんやし」の簡単な判断がまだ出来る段階でしたからよかったわけです。

もし・・・・

  • 辞めるなんて以ての外
  • 50代で再就職できる宛も無いのに
  • そもそも辞める勇気ないのに
  • 会社っていう看板に守られた方が楽やで

そんな悪魔の囁きに負けていたら今自分が存在しているかどうか定かじゃありません。(本当に)

身体の反応に対して素直にならなきゃだめ

しんどい、眠い、やる気がでない、精神的に辛い・・・そんな身体が発信している一大事をとかく人は精神論で誤摩化すのが好きな生き物です。

先日某戦争映画を見て思いました。

貴様〜っ!たるんどる!海軍精神を叩き込んでやる!!

バットでおケツをバコバコされていました。

現在なら確実にパワハラになるような上官からの愛の鞭ですか?

数十年前の出来事とはいえ、同じに日本国民の口から日常茶飯事に出ていた言葉ですから恐ろしい限りです。

現在でも似たり寄ったりの会社・・・・無くはないです。

棒っきれでドツかないまでも言葉の暴力や無茶な仕事のやり方をさせるパワハラはまだまだあります。

その事に対して文句のひとつもいわず、頑張らないといけないのですか?

必死に歯を食いしばって頑張っています!

元同僚の言葉です。

そもそもそんなに悲壮感漂わせながら、眉間にシワを寄せて必死に仕事をして楽しいですか?

基本的に仕事は自分の価値を提供するものですから、ワクワクするものじゃないですか?

なのに・・・・しんどくても眠くてもやる気が出なくても精神的に辛くても、頑張ってしまう人のが日本人なわけですね。

三者の口から出る無謀な精神論はやる気を削ぐばかりで何一つプラスにならないことが多いと思うのは私だけでしょうか?

身体が全力で嫌がっているのに無謀な使命感でねじ伏せること

結論です。

頑張るなとはいいません。時には必要です。出来る根拠が見つからなくても、「なんか面白そう」純粋に「やってみたい」と思えればOKです。

しかし、本能的に「これはダメ」とか「いや〜な感じがする」とか客観的視点で自分を見てそういう答えが導きだされたのならば無理しない方がいい。

「俺はいいと思うけど、俺の中のリトル本田はどういうだろうか」

この台詞、サッカーの本田選手の言葉です。

俺≠リトル本田

自分は自分ではありながら一歩下がったところから自分を客観視した場合、どう写るだろうか?判断に迷った時、精神的にまいった時、幽体離脱したみたいに自分を遠くから見ると正しい答えを導きやすいというわけです。

 

その結果・・・

あぁ自分には無理、誰かに任そう・・・使命感だけでこなせる程簡単じゃないわ・・・

それでもいいんじゃないですか?

徹夜したら出来る!頑張るぞ!

たまにはそんな時もあるかもしれませんが、どうせやるなら続けられて楽しいと思える努力をしましょうよ。

身体が全力で拒否しているのに、無茶な精神論や無謀な使命感の犠牲になって損するのは自分自身だからね。