50代フリーランスは自己責任という足かせを履いた自由な世界

成功させるために僕がやろうとしていること

可能性の中で生きるという愚行

大昔、高校を卒業する直前に先生からこういうことを言われました。

“君たちには無限の可能性があるからチェレンジして頑張れ!”

今になって思うこと

可能性っていうのは未来に向けて期待を込めた時に使う言葉であって、実際に何か事を実行して可能性の度合いまでは分からないんだよね・・・・

要は当たって砕けろ!的精神論も含まれていることです。

まあ若い頃はやり直しは何度でもきくからやらずに後悔するよりやって失敗して未来の糧にしろよ!的な前向きな捉え方ができればいいのですが、無限の可能性というか要は何も知らない若造には選択肢は無限にあるけど、上手くいく可能性は無限にはないということです。

そう考えると、先生が言った君たちには無限の可能性がある発言は無責任極まりないよね・・・・あとは自分でどないか考えてやれ、わしの知ったこちゃないけど

可能性の中で生きる愚行とは?

無限の可能性があると発破をかけられながら何もチャレンジしなかった人の末路・・・というか負け犬の遠吠え的発言・・・

自分がもっと◯◯だったら人生変わってたのに!

◯◯の意味は人それぞれの言い訳です

  • もっと背が高かったら
  • もっと美人だったら
  • もっとお金があったら
  • もっと性格が明るかったら

これに該当する人全員が同じ底辺のような人生を歩むのなら同情の余地もあるけれど、残念ながらそうじゃないんです。

「もっと◯◯だったら」と可能性のなかに生きているうちは、変わることはできません。何故なら、変わらない自分への言い訳として「もっと性格が明るかったら」等といっているだけなのです。

自分を例に上げると

ココナラという得意のフリーマーケットがあります。出品して、運良くお仕事を頂いてデザイナーとしての才能をみんなに知らしめたいけど、出品する勇気がない。

もし出品して箸にも棒にも掛らなかった時の恐怖って想像を絶するものがあります。

その気持ちを味わいたくないので、出品できない。そして「出品さえすれば俺は皆に認められるはず」という可能性を残しておきたいわけですね。

それってどうでしょう?行動しなければな〜んにも変わりません。行動しても上手くいくかどうかも分かりません。でもやれば何らかの結果が残ります。全く相手にされなければ「どうすれば自分の実力を知らしめることが出来るのだろうか?」という思考に行き着きます。

実際問題、私は勇気を出してココナラサイトに出品ましたが半年以上結果が出ませんでした。しかし試行錯誤を繰り返しているうちに「この方法がいいかも!」っていう所に考えが及んだお蔭で、微増ではありますが、お仕事を頂けるようになりました。

たまたま上手くいったから後の美談?に繋がっただけで、ダメだったらどうだったでしょうか?

私の結論は、「止めさえしなければ、何か見えてくる」

それ以前に「やればできる(はず)」と口にするだけの人は十中八九行動しません。

私は「有言実行」が好ましいと思います。

「やります」を口にするのは勇気がいりますが、出来る可能性がどうであれ、まずやってみる。出来なかったからって責める人はいないでしょう?

何も行動を起こさず「可能性の中だけで生きること」がいかに愚かなことだと理解していただけたでしょうか?