AI vs 教科書が読めない子どもたち

2018年に数学者新井紀子氏が書かれた本「AI vs教科書が読めない子どもたち」をご紹介します。

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シンギュラリティは本当に到来しないのか?

本の帯にいきなり結論が書かれてあります。

  • 「AIが神になる?」-なりません。
  • 「AIが人類を滅ぼす?」-滅ぼしません。
  • 「シンギュラリティが到来する?」-到来しません。

シンギュラリティとは、「技術的特異点」人間の能力をAI が超える分岐点として2045年問題が取り沙汰されていますが、ターミネーターのようにAI自身が人間の考えが及ばないような高度な知能を創造することが来れば話は別でしょうが、現在の延長線上で人間が作ったAIでは限界が見えているということです。
あっそうなの?AIなんて恐れるに足らずと思いきや楽観するのは早過ぎました。
近い将来、世の中のホワイトカラーと呼ばれる仕事の多くはAIに取って代わられるのが確実だということ。

ホワイトカラーとは

「白地のワイシャツにネクタイ、スーツを着て仕事をする人々」という語源から、頭脳労働を担う総合職として働く人々、または事務職として働く人々のことを指す言葉です。

そういう類いの話は昨今何処出ででも聞きます。AIに取って変わられる代表的仕事10選とかあるとついつい自分の仕事も含まれているんじゃないかと探してしまうじゃないですか。
ちなみにどのような仕事かというと

  • あらゆる窓口業務
  • データ入力業務
  • PCを使ったデータ収集・加工・分析
  • 金属やプラスティックの加工業
  • スポーツの審判 他・・・・

興味深かったのは「放射線画像診断医」。大量のMRIやCT画像をPCに向かって黙々と診断する仕事ですが、半ば流れ作業のように次から次へと映し出される画像をチェックするわけです。「流れ作業のよう・・・」という段階において、それこそAIによる自動処理のほうが最適ではないでしょうか?現段階でもAIの処理精度は人間に迫るものであり、数年後には確実にAIに取って代わられるのではないかと言われます。
半沢直樹の「倍返しだ!」は無くなる
一昔前に半沢直樹のドラマが流行りましたね。銀行融資に関する不正を暴いて「やられたらやり返す!倍返しだ!」という台詞が印象的でした。彼の仕事はローンオフィサーといって顧客の信用調査をするのです。AIは過去行われた融資のビッグデータを駆使することで、人の感による判断以上の成果を出せる可能性があることから、もう「倍返しだ!」の台詞は聞くことが出来なくなりそうです。

 AIは意味を理解できないという意味

AIは論理と確率と統計で表現できる範疇のことしか理解できないと断言しています。要はAIは数学的見地から見て「数値におきかえられるもの」ならば理解でできることです。
※ちなみに論理を簡単にいうと「A=BかつA=CであればB=Cである」的なものです。
意味を理解できないというとはどういうことなのかをiphoneのSiriで実際に試してみました。
「おいしいラーメン屋さん」って聞くと周辺のお店がずらっと表記されます。今度は「人気のないラーメン屋さん」とか「ラーメンは食べたくない」って聞くと順番は違えど同じようなお店が出てきました。へそ曲がりな聞き方が悪いとは思うものの、人間なら理解できるじゃないですか?近いうちにそう言う部分は修正されて「ならあなたは何が食べたいのですか?」って聞いてくるかも・・・。

教科書を読めない子どもたちの深刻な意味

AIは言葉の意味を理解できないという話をしましたが、それ以上に深刻なのは人間の方です。

例題

Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名前alexandraの愛称であるが、男性の名前alexanderの愛称でもある。
問.alexandraの愛称は(      )である。
A.Alex B.alexandra C.男性 D.女性のうち、どれでしょう?
答えはA.Alexです。思わずD.女性と答えそうになった人、ありませんか?
中学生にこれを問うたところ、なんと正解率が38%でした。うち、中学1年生に至っては23%という低さです。鉛筆を転がしても1/4(25%)は正解が出るはずなのにそれ以下です。(高校生の正解率は65%)
本書ではそういう類いのテストを数例掲載しています。難しい数式の知識なんて不要の問いなのにあまりの正解率の低さの理由は、質問の意味を解釈する「読解力の低さ」であると著者は言います。正解する以前に、何を問われているのかを理解できないのは、どの教科に於いても問題ですね。AIが人に追い付くというよりも、人のレベル低下により将来仕事を奪われることが加速度的に速くなる恐れを感じます。

本当にこの本が指し示したいこと

結論をお話しする前に本書「AI vs教科書が読めない子どもたち」のレビューに違和感たっぷりのコメントがありました。
プログラマーAさん
著者のAI技術に関する知識はせいぜいAI関連ニュースに詳しい人レベルであり、そのベースであるコンピュータに関する知識もほぼ素人である。「コンピュータが使えるのは論理、確率、統計だけ」という主張は正しくありません。「コンピュータはすべて数学で出来ている」という考えは間違っているということです。雑な言い方をすると『試行錯誤で解く』とのこと。AIの情報源はネット検索エンジンの集合体だけではないということです。
その後、そのことを証明するような数式を自慢げにひけらかしていましたが、私が思うにこの読者は、この本の本質を理解できず(読解力がない)、「俺の考えが正しい!」と専門馬鹿のように批判したいだけです。
また「コンピュータが使えるのは論理、確率、統計だけ」じゃないとAIの可能性を訴えたい気持ちも分らなくもないですが、それが証明されるということは、プログラマーAさんの仕事もAIに取って代わられる可能性を示唆することになります。まさに自分で自分の首を絞めるとはこのことです。
仮にその指摘が正しいにせよ、現在レベルの延長線上では、先にお話ししたようにAI(人間が意図的に作った脳)は人のように柔軟な物事の理解は出来ないのは事実です。
例1
キッチンにいる妻から「今日買ったバットとボール(正確にはボウル)持ってきて」と言われたとします。人ならばその状況を把握できますが、AIならどうでしょう?もしかして野球のバットとボールを選ぶかもしれません。
例2
「私は山口と広島へ旅行した」普通ならば「山口くんと一緒に広島へ旅行した」のか、「山口県広島県に旅行した」のか状況判断しますが、AIに判断させるには情報不足です。それくらい一から十まで説明しないと正確な判断が出来ないのが現在のAIですから。

例3
キッチンにいる母に「お水!」って叫びました。人ならば「お水が欲しい」と理解しますが、AIは「水の化学式はH2Oで水素H2と酸素O2が合成された・・・」もういい!って感じです。

今恐れているのは、そのレベルのAIに劣るほど、人の読解力(理解力)が徐々に低下していることです。
私自身も思うことは、現在ココナラというクラウドソーシングの仕事を請け負ってる中でよくあるシーンで、クライアントの指示があまりにあやふやな上に、挙げ句の果てには「あなたのセンスにお任せします」的な半ば丸投げされる場合が数多です。クライアントの指示する僅かな文面をもとに、業種、立地、年齢、性別他、あらゆる情報を調べつくし「要はこういうことですね」と自分の言葉で説明出来ないと仕事が進みませんので、読解力とコミュニケーション能力は必須条件です。
実作業するのがAI であったとしても、指示・管理するのは人なので、人が能力不足ではAIのポテンシャルを発揮させることが出来ません。(指示もないのにAIが勝手に作業する状況は映画の世界だけ。これを AIの暴走といいます)
この本でいちばん著者が訴えたいことは、AIの仕組みや可能性を訴えることが主目的ではありません。AIのことは専門家に任せて、今考えるべきは、人の感情に訴えることが出来る、いわば究極の人間らしい仕事とは何なのか?人類の存亡をかけて真剣に考える時期ではないかといことです。